古典文学への親しみ

この歳になって、思い返してみると私は古典文学と呼ばれるようなものをあまり読んできていないことに気づきました。
学生の頃、学校で読まされた程度のものには記憶がありますが、それ以外では全然読んでいないということに、ちょっとした驚きと後悔を感じ、善は急げと思って古典文学を読むのを始めてみました。
やはり現代文学と違って素直に読むことが出来ないので苦戦はしますが、最近では現代語訳が添えられているものも多いのでそういったものを購入しつつ、少しづつではありますが読み進めてきています。

まず最初に読んだのが、古事記でした。
古事記は古典文学の中でも最古のものであり、日本神話を通じてこの国の成り立ちについて書かれているものです。
日本は宗教に対していまいち理解がないというか、あまり意識していないことが多いと思うのですが、これを読んでみると古代の人たちが自然や神に対してどのようなことを考えていたのか、少しだけ知ることが出来たのが面白いと感じました。

何の疑いもなく受け入れている天皇制という日本の仕組みも、こういった部分が元となっていることを考えると、しみじみと考えさせられる部分があります。
後は、ワールドカップ日本代表のロゴマークが日本神話に登場するヤタガラスだというのが分かったのも一つの収穫だったかもしれません。
意外と、古典文学が現代とつながっている、ということを感じてさらに古典文学を読みたいと感じるようになりました。

その次に手を出したのは、やはり日本の古典文学の代表的な作品である、源氏物語です。
数が非常に多い上に、全部が残っているわけではないものの、源氏物語は平安時代に記されたとは思えない程の物語性や人物性を感じさせる、完成度の高い作品であるということを感じる事が出来ました。
平安時代の風俗について触れつつも、どうしても現代の価値観を持ち込んで見てしまう部分があったために、光源氏の業の深さにも思いを馳せることができました。

時代は下って

ただ、古事記と源氏物語と、平安時代以前に記されたという古典を読んで、流石に時代が遠すぎるために想像出来ない部分が多いのが気になりました。
もちろんそれはそれとして楽しむことが出来るのですが、もう少し自分の人生観に近いというか、素直に楽しむことが出来る作品にも手を出したいと考え、次に読む作品は一気に時代を江戸時代にまで勧めました。

ここで読むことにしたのは、井原西鶴の作品集です。
好色一代男などに代表される彼の作品は、今の時代の価値観からみても素直に楽しむことが出来るような内容となっており、私の古典文学の「遠さ」に対するフラストレーションは一気に解消されたように思います。
時代ごと、作品ごとに違った世界が、目の前に広がるのが古典文学の良さですね。